どうも、銀悠と申します。今回はMind Storyということで、クレーに関するテニス界の遷移を紹介していきたいと思います。内容は男子テニスにかなり絞った内容となっていますので、ご容赦。
それでは、最後までどうぞお付き合いください。
クレーコートは球足を遅くさせ、やや高くバウンドするサーフェス。 ラリーを長引かせ、集中力と根気・意地を最大限引き出して戦わなければならないサーフェスだ。
一概にクレーコートといえど、その種類は様々でグランドスラムの一角、
などが主に挙げられるだろう。
ちなみにブルークレーは滑りやすいというクレームが選手から挙がり、1年で没となったが その最初で最後の優勝者はRoger Federerである。
クレーでは特有のスライドフットワークが選手の機動力を担う。
さらに、球速が遅いためにラリーが長くなり ボールが弾むため、後方にポジションを置いたグラウンドストローカー同士の 乱打戦をみられることも多いのが一興だ。
そしてそこでクレーコートを語るにはクレー巧者の存在はとても重要である。
クレー巧者とは"クレーコートのスペシャリスト"を指す語彙であり、意外にも純粋なクレー巧者がFrenchOpenで活躍した歴史はまだほど遠くない。
ここからはFrenchOpenを軸に話を進めていこう。
FrenchOpenで歴代、活躍してきた選手といえば
アイスマンと謳われたテニス黄金期の1人Bjorn Borg
80年代の派遣争いを制したIvan Lendl
回転という概念を取り入れた新しいスタイルでウィナーを量産したGustavo Kuerten
それでは、最後までどうぞお付き合いください。
クレーコートは球足を遅くさせ、やや高くバウンドするサーフェス。 ラリーを長引かせ、集中力と根気・意地を最大限引き出して戦わなければならないサーフェスだ。
一概にクレーコートといえど、その種類は様々でグランドスラムの一角、
- Roland Garrosを筆頭にヨーロッパで多く取り入れられているアンツーカーを使ったレッドクレー
- 2012年度MadridMSで採用されたブルークレー
- かつてのUsOpenを含むアメリカなどで多く採用されていたグリーンクレー
などが主に挙げられるだろう。
ちなみにブルークレーは滑りやすいというクレームが選手から挙がり、1年で没となったが その最初で最後の優勝者はRoger Federerである。
クレーでは特有のスライドフットワークが選手の機動力を担う。
さらに、球速が遅いためにラリーが長くなり ボールが弾むため、後方にポジションを置いたグラウンドストローカー同士の 乱打戦をみられることも多いのが一興だ。
そしてそこでクレーコートを語るにはクレー巧者の存在はとても重要である。
クレー巧者とは"クレーコートのスペシャリスト"を指す語彙であり、意外にも純粋なクレー巧者がFrenchOpenで活躍した歴史はまだほど遠くない。
ここからはFrenchOpenを軸に話を進めていこう。
FrenchOpenで歴代、活躍してきた選手といえば
アイスマンと謳われたテニス黄金期の1人Bjorn Borg
ボルグの後釜で、機械のような精密なストロークを持つMats Wilander
80年代の派遣争いを制したIvan Lendl
回転という概念を取り入れた新しいスタイルでウィナーを量産したGustavo Kuerten
前人未到のRG11タイトル保持者Rafael Nadal らが挙げられる。
その点レンドル、ヴィランデルも同様だ。
Ivan LendlはUsOpenとの相性がよく、1982-1989年の実に8年連続ファイナル進出、 中3連覇含むなどその実力は桁外れ。 さらにGSにて、決勝進出回数は19度-タイトル数は8である。
Mats Wilanderは、1988年のバーンアウトが何を隠そう痛い選手だ。
レンドルと対象的なのは格段にインドアに弱い選手であったことだが、Gsにインドアコートはない!!
キャリアを通じて大会においてはプレー自体の安定感はあるものの、何処となく取りこぼしの多いタイプの選手であり、 長らくレンドルらの影に隠れた3,4番手選手といった印象が強いが24歳までにGSタイトル7を築き、グラス/ハード/クレーとGSで3サーフェス制覇を成した数少ない選手であるのだ。
この点から彼はグランドスラム巧者だったといえるかもしれない。
AustralianOpenがクーヨンで行われていた時代に 2連覇をしており、 上位が欠けがちだった当時のAustralianOpenで下積み生活をしながら虎視眈々と王位を狙っていたのだ。
そして来る最盛期は1988年。
苦手なWimbledonでは、またもや苦手な変幻自在なメチージュに敗れてしまったが
*メチージュあは当時スウェーデンキラーと謳われ、大柄な選手ながら快速を誇り、柔らかに打球を巧みに操る技巧派選手であった。
そのGs勝率は96.15%にまで成り、ついにその年の9月、レンドル帝政に切り込み、王位を奪取したのだ。
ただし、それ以降はまる冷めてしまったかのように陥落、以降輝きが戻ることはなかった。
そしてそのレンドルとヴィランデルも見ての通りとりわけクレーが強いわけではなく、見ての通り総合的に非常に高い成績を残した。
ヴィランデルに至っては88年の最盛期以降の89年から現役引退の96年までの7年間は相当不遇な成績となってしまったが、それでも8割の成績こそないがこれほどの記録を残してコートを去ったところを見ると最盛期のその恐ろしさが理解できる。
レンドルは言わずとも見れば分かるとおり、Wimbledonのタイトルこそとれなかったもののグラスでも十分な勝率を残している。
時代は進み90年代を迎えると 再び覇権が動く。 90年代では王者Pete Samprasの台頭やIvan LendlやMats Wilanderらの下降路線もあり、世代交代。
それと同時にFrenchOpenにもつついに 真のクレー巧者が現れるのである。 まさにスペインのクレー旋風もここが大きなポイントになったであろう
Sergi Brugeraの台頭だ!!
クレー巧者は実力、スタイルが均衡しやすいが、まず彼がFrenchOpenを2連覇したことで、時代が動き始めた。彼は35度の決勝進出があるが、そのうちの29度がクレーコートの大会であり 13優勝16準優勝と、成績はまずまずであるが・・・
1993年RG、ブルゲラは 1991-92年と大会2連覇中のJim Courierを決勝戦で下して優勝した。
クーリエといえば、クレーに関わらず強打を持ち味とした選手で 、クレーにおいては、しっかり構える時間と引き付ける時間が有意義に獲得できるため得意の逆クロスに強打を打ち込み展開するプレーで大会を勝ち上がっていた。
しかしこのブルゲラ、肘を伸ばした特有のフォームからより広角に打ち分けることのできるヘヴィなトップスピンショットを使い、 相手より先にミスしないようなプレースタイルで大会2連覇を成し遂げたのである。
そんな時代の流れの中、現れたクレー巧者の革命児
Thomas Musterの台頭 である。
以前のクレー巧者は勝ち負けのシーソーを繰り返していたが、そんな中現れた泥の番人はそのクレー巧者同士の直接対決で、無類の強さを発揮し次々とクレー巧者をねじ伏せたのである。
ただし、FrenchOpenでは毎度優勝候補にあがりながらも結局優勝できたのは1995年の1度のみだが、この1995年が極めて素晴らしかったと言える。
1995年、FrenchOpenを含め 彼は15のクレー大会に出場し、なんと12大会を優勝。 まさにクレー大会を総なめにし、その勝率は68勝3敗、95%超とこれまた破格の数値である。
そして彼はまさにクレーのみで世界Rank1に到達した偉人でもあるだろう。
最終的に、彼はクレーの大会で45度決勝へ進出し40度優勝。 彼の決勝進出回数は55度のため、約80%の決勝進出がクレーであることが伺える。 クレーコート勝利は77%、見事な数値だ。
ムスターのスタイルは今までのクレー巧者と違い、より強打することにあった。
ただし、クーリエのようなフラット系強打ではなくムスターが極めたのはあくまで回転を強くかけた強打であり、
後々のテニス界への伏線、クレー巧者に継承されることになる。
持ち技であるアングルに沈む強烈なショットは、おそらくあの角度に沈められた選手は当時でも数少なく 、
後にその回転系強打はスペインのCarlos MoyaやJuan・C Ferreroらによってさらに洗練され高められていった。
ただし、ムスターがそのショットだけで頂点を極めたかといえばそうではなく、大怪我を負いながらも練習を絶やすことなく鍛えたその強靭な精神力と鍛え抜かれたレンドルクラスのフィットネスがその軸を支えていた。
そのアグレッシブ精神はまさにダイ・ハード!
しかし、ムスターのクレー巧者としての活躍時代は短期間に終わってしまう。 その理由は新たなる革命児の到来だった。
1997年、 Gustavo Kuertenの台頭だ。
1997年、まさに新星の招来である。
Rank66位、カナリア色のウェアに包まれた1人のブラジル選手が French優勝経験者の
ムスター(95年覇者)、カフェルニコフ(96年覇者)、ブルゲラ(93-94年覇者)の3名をすべて撃破し、優勝したのだ。
ムスター時代はまさにこれが終焉だっただろう。
クエルテンは当時、まさに新しいフォームである腰の回転とクレー巧者のスタイルを組み合わせたハイブリッド型と言える性能で、 歴代クレー巧者と同じく、後方にポジショニングし回転系ショットで深く抉り粘り強く戦うテニスをするのだが今までの選手との違いは球速。
97年決勝で対戦したブルゲラと比べても一目瞭然で、 ウィナーを量産し、泥臭かったFrenchOpenでのテニスに華麗さを持ち込んだ。
彼はFrenchOpenを3度制し、2000年代前半までを生き抜いた選手。
片手のBHも当時はルコント、エドバーグに次いでその美しさとレベルは高く評価され、サンバテニスはまさにノっている時は手に負えないほどのレベルにまで到達する。
ただし、やはりストローカー。 多彩な技巧派とは違い、すべきことが明確であるが故にトリッキーな曲者選手の多いフランス、例にピオリーンらに苦戦したのは言うまでもない。
サーブは歴代でもかなり速いサーブを持ち最高速度は1999年に測定された212km/h。
その後はスペイン、アルゼンチンの2国が主にFrenchOpenを含むクレーコートの大会におけるクレー巧者を担う。
ただその後突如降誕したRafael Nadalの存在はまさに異質だった。
クレーではヴィラスをも遥かに凌駕する81連勝と、エバートが築いたクレー125連勝記録に迫るかの如く、勝ち星を重ね FrenchOpenでは4連覇5連覇の9勝、10年でたった1度しか負けなしという驚異の数値を叩き出したほか生涯クレー勝率は単独90%超(2014年度シーズン終了時)
破格中の破格である。
2015年こそNovak Djokovicに破れたものの、クレーでの勝率は90%を超える高水準を維持している。 さらに、2015,2016と怪我などに苦しめられ、優勝からは遠ざかったものの、2017年-2018年には再び復活を果たし、大会2連覇、11度目の優勝を果たした。(2018年12月記載)
それにも関わらず、ボルグ同様French優勝後Wimbledon優勝の偉業を成し遂げ さらにはAustralianOpen,UsOpenまでも優勝、2008年北京五輪でも金メダルを獲得しゴールデンスラムを見事達成した男だ。
(デビス杯も優勝済み)
確かに圧倒的にクレーに強く、年間最終戦を優勝できずにいるところをみるとインドアが苦手で、クレー巧者と謳いたくなる。
・・・・・しかしだ。
その他のサーフェスでの力量はいうまでもなく
Toronto /Cincinnati /UsOpenと
所謂サマースラムを達成する辺、クレー巧者の域をはるかに超越したボルグなどのようなタイプだろう。
2004年Frenchファイナリストで、2000年代のクレー巧者として活躍したGuillermo Coria選手とナダルの
Roma2005決勝はまさに歴史に残る名勝負だろう。
5時間に及ぶ死闘、互いに譲らぬ激闘、あれこそコリアとナダルの世代交代になったと言えるだろう。
ここまで長らくクレーコートでの戦いについて歴史を追って説明してきたが、いかがだっただろうか。
直近ではナダルの11勝、フェデラーの1勝でまるで新しい王者が誕生していない難攻不落のRoland Garros。
しかし2015年度、ついにStan Wawrinkaが優勝を果たし、RGに新たな風が舞い込んだ。
さらに、2016年にはNovak Djokovicが優勝を果たし、ついに念願のキャリアスラム達成となった。
最近ではどのサーフェスでも万能に戦える選手が増え、一概にクレー巧者という存在はやや煙を帯びつつあるがそれでもその存在は欠かせない。
最初にあげたテーマ
5選手のうち、やはりクレー巧者はグーガ一択ではないだろうか?
もちろん、あげればもっと様々な選手がピックアップされるだろうが、今回はあくまで軸を担った選手とその比較対象をあげて説明させてもらった。
クレーでの試合はどの試合でも面白い。
簡単に決まらず、焦れば相手の術中にはまり自分を追い詰めることになる。
類稀なフットワークで縦横無尽に駆け抜けるナダル
強力なショットと多彩な技巧を併せ持つエナン
クレーコートの勝率がさほど高くないが、万能にすべてをこなしたカフェルニコフ
男顔負けの強烈はフォアハンドとピカイチのスライスタッチを誇ったグラフ
戦いたくないとまで言わせる粘り強さのあるサンチェス・ビカリオ
回転系強打を極め、その発展に大いに貢献したモヤ
あげれば歴代多くの選手たちがRoland Garrosの頂きを制してきた。
ちょっとした意地でポイントに繋がり
ちょっとした甘えが失点に繋がる、駆け引きの最前線。
それでは、今回はこのあたりにしておきましょう。
閲覧ありがとうございました。
では果たして、この5人の中で純正クレー巧者といえるのは何人いるだろうか。
個人的な見解ではグーガ(クエルテン)一択だ。
その説明としては以下である。
まずボルグと加えて上記に挙げなかったGuillermo Vilasについてだ。この2人はクレーで確かに強く、両者共にクレーでの勝率が非常に高い。 さらに比較対象として、息の長かったヴィラスと、短かったボルグという立場も、一応捉えどころだ。
上記のとおり、歴代記録で見てもクレーでの勝率はボルグが2位、ヴィラスが4位(2015/2月→2016/3月現在)と
このデータとプレースタイルをみれば、クレー巧者であることを否定するほうが困難かもしれない。
ボルグは息の短い選手、対するヴィラスは息の長い選手としての戦績は如実に試合数として現れていることも捉えることができる。
そしてそんな2選手の各4サーフェスの戦績がこちら。
ヴィラスは長いキャリアの中でどのサーフェスも勝率が6割を下回っていないという驚きの記録を打ち立て引退しており、ボルグに至っては苦手なハードのサーフェスでもその勝率は7割5分を超えるなど全盛期のまま引退したその結果が如実にデータに現れている。 このデータよりわかることは、2選手ともに完全なるクレー巧者というよりは"試合巧者"だった といえるだろう。(ただ「強い」という表現もできる。)
個人的な見解ではグーガ(クエルテン)一択だ。
その説明としては以下である。
まずボルグと加えて上記に挙げなかったGuillermo Vilasについてだ。この2人はクレーで確かに強く、両者共にクレーでの勝率が非常に高い。 さらに比較対象として、息の長かったヴィラスと、短かったボルグという立場も、一応捉えどころだ。
順位 | クレイ | % | W-L |
2. | Bjorn Borg | 85.96% | 251-41 |
4. | Guillermo Vilas | 80.27% | 659-162 |
上記のとおり、歴代記録で見てもクレーでの勝率はボルグが2位、ヴィラスが4位(2015/2月→2016/3月現在)と
このデータとプレースタイルをみれば、クレー巧者であることを否定するほうが困難かもしれない。
ボルグは息の短い選手、対するヴィラスは息の長い選手としての戦績は如実に試合数として現れていることも捉えることができる。
そしてそんな2選手の各4サーフェスの戦績がこちら。
選手 | Hard | Clay | Grass | Carpet |
Bjorn Borg | 76.14% | 85.96% | 86.96% | 82.41% |
Guillermo Vilas | 66.67% | 80.27% | 71.43% | 69.57% |
ヴィラスは長いキャリアの中でどのサーフェスも勝率が6割を下回っていないという驚きの記録を打ち立て引退しており、ボルグに至っては苦手なハードのサーフェスでもその勝率は7割5分を超えるなど全盛期のまま引退したその結果が如実にデータに現れている。 このデータよりわかることは、2選手ともに完全なるクレー巧者というよりは"試合巧者"だった といえるだろう。(ただ「強い」という表現もできる。)
その点レンドル、ヴィランデルも同様だ。
Ivan LendlはUsOpenとの相性がよく、1982-1989年の実に8年連続ファイナル進出、 中3連覇含むなどその実力は桁外れ。 さらにGSにて、決勝進出回数は19度-タイトル数は8である。
ただ勝負の鬼と謳われた反面、決勝でのメンタルの弱さが示唆されることも少なくない。
そしてそのレンドルの初のGS決勝はFrenchOpenであったし、キャリアの中で5度の決勝を経験して内3度優勝をものにした。
そのFrenchOpen決勝での敗れた相手はいずれもボルグとヴィランデル。 どちらの選手もスウェーデンのクレー育ちである典型的なストローカーであり、ボルグは70年代、ヴィランデルは80年代最高峰とも言える鉄壁のディフェンス能力を持ち合わせながら、冷静で機械のようなストロークを得意する選手でRGでは無類の強さを発揮した選手だ。
(ヴィランデルはレンドルと互角に打ち合える当時数少ない選手の1人でもあったのだ。)
このあたりを考慮するとその敗戦は致し方ないといえ、
その他のサーフェス勝率も格段に高く,1985-1987年の3年間に至っては、3年連続勝率90%超とこちらも常識はずれの破格の数値をたたき出しているのだ。
ちなみにレンドルはテニス界歴代を総じても最高クラスのサーブを持つ選手だったが、なにぶんトスが非常に高い。
そしてそのレンドルの初のGS決勝はFrenchOpenであったし、キャリアの中で5度の決勝を経験して内3度優勝をものにした。
そのFrenchOpen決勝での敗れた相手はいずれもボルグとヴィランデル。 どちらの選手もスウェーデンのクレー育ちである典型的なストローカーであり、ボルグは70年代、ヴィランデルは80年代最高峰とも言える鉄壁のディフェンス能力を持ち合わせながら、冷静で機械のようなストロークを得意する選手でRGでは無類の強さを発揮した選手だ。
(ヴィランデルはレンドルと互角に打ち合える当時数少ない選手の1人でもあったのだ。)
このあたりを考慮するとその敗戦は致し方ないといえ、
その他のサーフェス勝率も格段に高く,1985-1987年の3年間に至っては、3年連続勝率90%超とこちらも常識はずれの破格の数値をたたき出しているのだ。
ちなみにレンドルはテニス界歴代を総じても最高クラスのサーブを持つ選手だったが、なにぶんトスが非常に高い。
風のある日の試合はそちらも意識しつつプレーしなければならなかったので、もしGsにインドアがあればタイトル数は8ではとどまらなかったかもしれない。(余談)
Mats Wilanderは、1988年のバーンアウトが何を隠そう痛い選手だ。
レンドルと対象的なのは格段にインドアに弱い選手であったことだが、Gsにインドアコートはない!!
キャリアを通じて大会においてはプレー自体の安定感はあるものの、何処となく取りこぼしの多いタイプの選手であり、 長らくレンドルらの影に隠れた3,4番手選手といった印象が強いが24歳までにGSタイトル7を築き、グラス/ハード/クレーとGSで3サーフェス制覇を成した数少ない選手であるのだ。
この点から彼はグランドスラム巧者だったといえるかもしれない。
AustralianOpenがクーヨンで行われていた時代に 2連覇をしており、 上位が欠けがちだった当時のAustralianOpenで下積み生活をしながら虎視眈々と王位を狙っていたのだ。
そして来る最盛期は1988年。
苦手なWimbledonでは、またもや苦手な変幻自在なメチージュに敗れてしまったが
*メチージュあは当時スウェーデンキラーと謳われ、大柄な選手ながら快速を誇り、柔らかに打球を巧みに操る技巧派選手であった。
- AustralianOpen:Pat Cash
- FrenchOpen:Henri Leconte
- UsOpen:Ivan Lendl
そのGs勝率は96.15%にまで成り、ついにその年の9月、レンドル帝政に切り込み、王位を奪取したのだ。
ただし、それ以降はまる冷めてしまったかのように陥落、以降輝きが戻ることはなかった。
Ivan Lendl | 81.84% | 81.41% | 75.00% | 84.02% |
Mats Wilander | 69.90% | 77.13% | 74.63% | 58.33% |
そしてそのレンドルとヴィランデルも見ての通りとりわけクレーが強いわけではなく、見ての通り総合的に非常に高い成績を残した。
ヴィランデルに至っては88年の最盛期以降の89年から現役引退の96年までの7年間は相当不遇な成績となってしまったが、それでも8割の成績こそないがこれほどの記録を残してコートを去ったところを見ると最盛期のその恐ろしさが理解できる。
レンドルは言わずとも見れば分かるとおり、Wimbledonのタイトルこそとれなかったもののグラスでも十分な勝率を残している。
時代は進み90年代を迎えると 再び覇権が動く。 90年代では王者Pete Samprasの台頭やIvan LendlやMats Wilanderらの下降路線もあり、世代交代。
それと同時にFrenchOpenにもつついに 真のクレー巧者が現れるのである。 まさにスペインのクレー旋風もここが大きなポイントになったであろう
Sergi Brugeraの台頭だ!!
クレー巧者は実力、スタイルが均衡しやすいが、まず彼がFrenchOpenを2連覇したことで、時代が動き始めた。彼は35度の決勝進出があるが、そのうちの29度がクレーコートの大会であり 13優勝16準優勝と、成績はまずまずであるが・・・
1993年RG、ブルゲラは 1991-92年と大会2連覇中のJim Courierを決勝戦で下して優勝した。
クーリエといえば、クレーに関わらず強打を持ち味とした選手で 、クレーにおいては、しっかり構える時間と引き付ける時間が有意義に獲得できるため得意の逆クロスに強打を打ち込み展開するプレーで大会を勝ち上がっていた。
しかしこのブルゲラ、肘を伸ばした特有のフォームからより広角に打ち分けることのできるヘヴィなトップスピンショットを使い、 相手より先にミスしないようなプレースタイルで大会2連覇を成し遂げたのである。
そんな時代の流れの中、現れたクレー巧者の革命児
Thomas Musterの台頭 である。
以前のクレー巧者は勝ち負けのシーソーを繰り返していたが、そんな中現れた泥の番人はそのクレー巧者同士の直接対決で、無類の強さを発揮し次々とクレー巧者をねじ伏せたのである。
ただし、FrenchOpenでは毎度優勝候補にあがりながらも結局優勝できたのは1995年の1度のみだが、この1995年が極めて素晴らしかったと言える。
1995年、FrenchOpenを含め 彼は15のクレー大会に出場し、なんと12大会を優勝。 まさにクレー大会を総なめにし、その勝率は68勝3敗、95%超とこれまた破格の数値である。
そして彼はまさにクレーのみで世界Rank1に到達した偉人でもあるだろう。
最終的に、彼はクレーの大会で45度決勝へ進出し40度優勝。 彼の決勝進出回数は55度のため、約80%の決勝進出がクレーであることが伺える。 クレーコート勝利は77%、見事な数値だ。
ムスターのスタイルは今までのクレー巧者と違い、より強打することにあった。
ただし、クーリエのようなフラット系強打ではなくムスターが極めたのはあくまで回転を強くかけた強打であり、
後々のテニス界への伏線、クレー巧者に継承されることになる。
持ち技であるアングルに沈む強烈なショットは、おそらくあの角度に沈められた選手は当時でも数少なく 、
後にその回転系強打はスペインのCarlos MoyaやJuan・C Ferreroらによってさらに洗練され高められていった。
ただし、ムスターがそのショットだけで頂点を極めたかといえばそうではなく、大怪我を負いながらも練習を絶やすことなく鍛えたその強靭な精神力と鍛え抜かれたレンドルクラスのフィットネスがその軸を支えていた。
そのアグレッシブ精神はまさにダイ・ハード!
しかし、ムスターのクレー巧者としての活躍時代は短期間に終わってしまう。 その理由は新たなる革命児の到来だった。
1997年、 Gustavo Kuertenの台頭だ。
1997年、まさに新星の招来である。
Rank66位、カナリア色のウェアに包まれた1人のブラジル選手が French優勝経験者の
ムスター(95年覇者)、カフェルニコフ(96年覇者)、ブルゲラ(93-94年覇者)の3名をすべて撃破し、優勝したのだ。
ムスター時代はまさにこれが終焉だっただろう。
クエルテンは当時、まさに新しいフォームである腰の回転とクレー巧者のスタイルを組み合わせたハイブリッド型と言える性能で、 歴代クレー巧者と同じく、後方にポジショニングし回転系ショットで深く抉り粘り強く戦うテニスをするのだが今までの選手との違いは球速。
97年決勝で対戦したブルゲラと比べても一目瞭然で、 ウィナーを量産し、泥臭かったFrenchOpenでのテニスに華麗さを持ち込んだ。
彼はFrenchOpenを3度制し、2000年代前半までを生き抜いた選手。
片手のBHも当時はルコント、エドバーグに次いでその美しさとレベルは高く評価され、サンバテニスはまさにノっている時は手に負えないほどのレベルにまで到達する。
ただし、やはりストローカー。 多彩な技巧派とは違い、すべきことが明確であるが故にトリッキーな曲者選手の多いフランス、例にピオリーンらに苦戦したのは言うまでもない。
サーブは歴代でもかなり速いサーブを持ち最高速度は1999年に測定された212km/h。
その後はスペイン、アルゼンチンの2国が主にFrenchOpenを含むクレーコートの大会におけるクレー巧者を担う。
ただその後突如降誕したRafael Nadalの存在はまさに異質だった。
クレーではヴィラスをも遥かに凌駕する81連勝と、エバートが築いたクレー125連勝記録に迫るかの如く、勝ち星を重ね FrenchOpenでは4連覇5連覇の9勝、10年でたった1度しか負けなしという驚異の数値を叩き出したほか生涯クレー勝率は単独90%超(2014年度シーズン終了時)
破格中の破格である。
2015年こそNovak Djokovicに破れたものの、クレーでの勝率は90%を超える高水準を維持している。 さらに、2015,2016と怪我などに苦しめられ、優勝からは遠ざかったものの、2017年-2018年には再び復活を果たし、大会2連覇、11度目の優勝を果たした。(2018年12月記載)
それにも関わらず、ボルグ同様French優勝後Wimbledon優勝の偉業を成し遂げ さらにはAustralianOpen,UsOpenまでも優勝、2008年北京五輪でも金メダルを獲得しゴールデンスラムを見事達成した男だ。
(デビス杯も優勝済み)
確かに圧倒的にクレーに強く、年間最終戦を優勝できずにいるところをみるとインドアが苦手で、クレー巧者と謳いたくなる。
・・・・・しかしだ。
その他のサーフェスでの力量はいうまでもなく
Toronto /Cincinnati /UsOpenと
所謂サマースラムを達成する辺、クレー巧者の域をはるかに超越したボルグなどのようなタイプだろう。
2004年Frenchファイナリストで、2000年代のクレー巧者として活躍したGuillermo Coria選手とナダルの
Roma2005決勝はまさに歴史に残る名勝負だろう。
5時間に及ぶ死闘、互いに譲らぬ激闘、あれこそコリアとナダルの世代交代になったと言えるだろう。
ここまで長らくクレーコートでの戦いについて歴史を追って説明してきたが、いかがだっただろうか。
直近ではナダルの11勝、フェデラーの1勝でまるで新しい王者が誕生していない難攻不落のRoland Garros。
しかし2015年度、ついにStan Wawrinkaが優勝を果たし、RGに新たな風が舞い込んだ。
さらに、2016年にはNovak Djokovicが優勝を果たし、ついに念願のキャリアスラム達成となった。
最近ではどのサーフェスでも万能に戦える選手が増え、一概にクレー巧者という存在はやや煙を帯びつつあるがそれでもその存在は欠かせない。
最初にあげたテーマ
5選手のうち、やはりクレー巧者はグーガ一択ではないだろうか?
もちろん、あげればもっと様々な選手がピックアップされるだろうが、今回はあくまで軸を担った選手とその比較対象をあげて説明させてもらった。
クレーでの試合はどの試合でも面白い。
簡単に決まらず、焦れば相手の術中にはまり自分を追い詰めることになる。
類稀なフットワークで縦横無尽に駆け抜けるナダル
強力なショットと多彩な技巧を併せ持つエナン
クレーコートの勝率がさほど高くないが、万能にすべてをこなしたカフェルニコフ
男顔負けの強烈はフォアハンドとピカイチのスライスタッチを誇ったグラフ
戦いたくないとまで言わせる粘り強さのあるサンチェス・ビカリオ
回転系強打を極め、その発展に大いに貢献したモヤ
あげれば歴代多くの選手たちがRoland Garrosの頂きを制してきた。
ちょっとした意地でポイントに繋がり
ちょっとした甘えが失点に繋がる、駆け引きの最前線。
それでは、今回はこのあたりにしておきましょう。
閲覧ありがとうございました。
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