どうも、銀悠と申します。Storyシリーズ第2章、今回は各時代を支えた選手たちを見ていきましょう。現在のテニス界を築き上げる礎となった多くの選手たち。そんな時代の柱の軌跡を追っていくことにします。それでは、どうぞ最後までお付き合いください。





テニス界において、脚光を浴びるのは何も世界1位になった選手だけでは決してない。 
今も昔も、好かれる選手と嫌われる選手は必ず存在し、人気先行の選手もいれば、堅実な実力者だが影の薄い選手もいる。 


今回は、時代に沿って王者の影となった選手を取り上げていこうと思う。 


その代表格なのはやはりGuillermo Vilasではなかろうか。 


1970年代-80年代を活躍した言わばテニス界黄金期の選手で、グランドスラムタイトルも4つ持ってる実力者。 
それにも関わらず、 黄金期といえば、野獣コナーズ、アイスマンボルグ、悪童マッケンローらが語り継がれ、ヴィラスやボルグの盟友ゲルレイティスらはすっかり陰に隠れてしまう。 

・・・そこでだ。 

そんななかなか日の目こそ浴びないが、決してテニス界において無下にできない選手達を紹介する。 



Guillermo・Vilas
Vilas 75



南米アルゼンチン出身のストローカーで、クレー育ちらしいそのクラシックなスタイルはまさにストローカーのお手本だった。 そんなヴィラスといえば、Rafael・Nadalが打ち立てたクレー81連勝記録の比較としてクレー53連勝記録が比較対象として取り上げられる。 

・・・しかし、だ。 
ここには明るみにあまりでない裏事情がある。  


ナダルが81連勝を打ち立てる前、ヴィラスの記録と並んだ53連勝の時点で彼は約1年がかりでこの記録に並ぶ。 
しかし比べてヴィラスといえば、5月末のFrenchOpen1977よりその連勝記録を開始しその年の9月には53連勝に到達したのだ。 


つまりはペースが約倍だということである。 

もちろん当時1977年とナダルが記録を打ち立てた2000年代中期とでは大会数が40近く違う。 
しかし、いくら赤土の皇帝と謳われたナダルといえどヴィラス並に果たしてタイトに試合をこなすことができただろうか。 


54戦目、ヴィラスの連勝を止めたのはご存知悪童ナスターゼだ。 


当時、旋風を巻き起こした通称"スパゲッティストリング" (現在禁止)を用いてヴィラスの連勝記録を阻止したのだ。 


もちろんこれにはナスターゼもまた、泣かされた歴史があるが、それはまた別のお話。


こうしてヴィラスの連勝記録は阻止されてしまう。これはなんと、ボルグ不在時の大会であったために 
ヴィラスはクレーにてそう安安とボルグに勝つことができず、記録更新は残念ながらならなかった。 


しかし、ヴィラスは1974年から9年連続で世界top10に在位し続けるなどその安定感は非常に高く、当時のタイトなスケジュールにおける記録であるから、いかに彼が鉄人であったからは語るまでもないだろう。
それこそ1977年はヴィラスの最盛期、はっきり言って事実上のこの年の世界1位はヴィラスだろう、としても申し分ないレベルだったがコナーズ、ボルグの双璧を崩すことはできなかった。 
(公式では最高位は2位となっているが、事実上1位なっていたらしい。しかしながら当時のランキングは実力順とは多少言い難い。)

この年は33大会に出場し、17大会で優勝。 
その中にはFrenchOpenUsOpenのGs2タイトルも含まれていたのだが、彼は1989年までプロとしてテニス界を牽引し続けたのだった。 



時代は1980年代に入ると脚光を浴びるのは 
  • 覇権争いを制したレンドル 
  • ボルグの引退で勢力を取り戻したコナーズ 
  • ボルグの後釜ヴィランデル 
  • 唯一のジュニア年間グランドスラム達成者エドバーグ
らだ。


しかし、注目すべきはMiloslav•Mečířだ。

220px-Miloslav_Mecir 
(有名なDutchOpen1987優勝後セレモニー) 


彼は非常に能力が面白い。
sss



身長190センチと大柄ながら、Michael・Changの登場まではおそらくテニス界1の快速を誇った選手で 
大柄のわりにはサーブから展開するタイプではなく、グラウンドストローカーでネットプレーまで卒なくこなすタイプ。 

さらにはハードヒットはそうそう見せず、緩やかなショットを得意とし、打ち分けが上手く、粘り強さも備えた怪しげな選手であった。 当時、新星の如く台頭したベッカーは、その大柄な身体をフルに活用した強力なサーブや、そこから展開されるネットプレーとダイビングまでが1セットとして見られる。そんなベッカーとは対照的な立場を取っていたのがこのメチージュである。


メチージュは本当に謎な選手だ。
フットワークとしては非常に速い動きを見せるが、ステップはめちゃくちゃ。
ガットは緩く張ったタイプのものを用いており、通常では考えられないような難しいショットをいとも簡単にこなしてしまうし、
強打は滅多と見せないが、的確にコーナーを緩やかなショットを含む緩急あるテクニックで突いていく。



しかし26歳で現役を引退、たった9年のキャリアであったが 

86年UsOpen:準優勝
87年FrenchOpen:Best4
88年Wimbledon:Best4
89年
AustOpen:準優勝

と、年1度いずれかのGsで好成績をマーク、 
88年にはソウル五輪で金メダルを獲得するなどその成績は実はかなり強かである。 

選手

Hard

Clay

Grass

Carpet

Miloslav Mecir

70.8%

66.9%

66.7%

68.0%




Gsの結果を見て分かるとおり、比較的にどのサーフェスにも穴がなく 、いずれも6割5分以上という結果を残しているが、問題といえるのは各サーフェスにおける試合数がどれも150試合を超えていないという息の短さ。

MSでは、

  • Hamburg
  • Indian Wells
  • Key Biscayne
の3大会で優勝しており(各々1回ずつ) 
ハンブルグに関しては3度出場し、3度ともファイナル進出という記録である。 

メチージュはスウェーデンキラーとも謳われた選手であるが 彼が現役引退を決めた最後の対戦はWimbledonで 
スウェーデン選手であるStefan・Edbergに引導を渡されたのは、果たして何かの縁だったのだろうか。 

ただしスウェーデンのMats Wilander「チェコスロバキアにメチージュが一人しかいなくてよかった。
彼とは試合したくない。」
とするほどメチージュの厄介性を主張していた事実もある。


そして以下がメチージュと80年代を代表したスウェーデン選手との対戦成績。

Vs Mats Wilander

73

Vs Stefan Edberg

59

Vs Anders Jarryd

25

Vs Joakim Nystrom

42

Vs Henrik Sundstrom

20






同時期80年代の選手として 
もう1人取り上げたいのはHenri Leconteである。 

失礼承知で申し上げると、彼は本当に人気先行の選手であった。 


ルコント唯一のGs決勝進出はFrenchOpenで地元補正もあったが、皆がヴィランデルの優勝だろうとそう思った。 
しかし、地元選手であったがために、少しは竸った展開になることを多くのファンが期待していたがしっかりその期待を打ち砕きストレートで敗退した。 


それでも、当時帝政を築いたレンドルにはそこそこ健闘しておりかつてはあのレンドルにさえ 

「調子のいいアンリは僕でも止めれない」 

とまで、言わせるほどのポテンシャルを秘めたフレンチ選手らしいタイプであった。 


・・・が、スウェーデンのエドバーグやヴィランデル、アメリカのマッケンローらにはまるで歯が立たずで 

特に対戦機会の多かったマッケンローとは10度対戦し、なんと0勝・・・ 
不遇な結果に終えている。 


ルコントといえばレフティ、クイックモーションのサーブと器用にボレーをこなし 
豪快なショットが持ち味で とにかく凄まじさがった選手だ。

バックハンドはエドバーグと並んで讃えられるほどのレベルであったし、セカンドサーブでもネットに詰める積極性も見せた。 
クレーコートでも同じことをする選手はそうはいないだろう。 


そして豪快とは・・・ 

Outするときは、それは数メートルという範囲でOutすることもあれば 
不可能だと思われる難打でもコートに正確に沈めることさえできる選手であった。 


ルコントは1996年まで現役を続行したが最盛期は85年-88年である。 

ルコントは比較的人気があったために脚光を浴びていたかも知れない。 
引退後も積極的に公の場に姿をみせエキシビジョンマッチやレジェンドマッチをこなしており、引退後もパフォーマンスは変わらず健在である。 


今でも鮮明に覚えているのだがWimbledonでのルコントのとある試合で 
解説者が大のルコント好きで、明らかに贔屓だろうというくらいルコント推しの見解を示し、苦笑いしたことだ。


そして意外に、晩年のボルグに勝ち越している男であるというのがまた面白く、息の長かったことを証明している形となる。





90年代に突入しよう! 

1990年代といえば 
  • 絶対王者サンプラス 
  • 2番手、最高峰のリターナーアガシ 
  • エドバーグの最後の輝き 
  • 無敵の泥番長ムスター 
  • グーガのサンバテニス 

このあたりが脚光を浴びる。 


ところがだ。 
この90年代、1位になったYevgeny・Kafelnikovの存在が意外と忘れられがちだ! 
Kafi44 

個人的にはとても好きな選手である。 

ロシア初期の鉄人選手で、単複合わせて年間大会出場数が多かったことから鉄人と謳われ、シングルスプレイヤーはシングルだけに偏りがちな時代にダブルスにも手を伸ばし、ダブルスでも世界4位にまで勝ち上がる実力者。 
その点からマッケンローからは高く評価を受けている。 

スタイルとしては、オールラウンダー OR グラウンドストローカー 
の2パターンに別れるだろうが個人的にはオールラウンダーで良い、という見解を出した。 

ロシア選手と特徴の1つでもあるロシアンフラットと呼ばれる回転の少ないフラット系ショットを得意とし、バックハンドを非常に得意とした選手で 、グリップは薄めだったがあれだけの強打を打てるそのタッチは見事であるという、評価を得ていた。 


後方での強烈なストロークを得意としながらもネットプレーをも卒なくこなし、 巨漢ながらもしっかり動けるフットワークを持っていた。 

反面、ややスロースターターな一面があり、あっさり持っていかれるケースもしばしば・・・

エンジンが上がりきる前叩くのが定石とカフィはよく言われていた気がする。



問題はセカンドサーブか・・ といったところで 、ファーストサーブはかなり威力があるのだが、 レンドルのように多彩な球種があったわけではなく短調なファーストをまんま威力ダウンしただけのようなタイプで回転数との綱渡りだったと言える。 


グランドスラムタイトルとしてはFrenchOpenAustralianOpenの2タイトル。2000年に行われたシドニー五輪の金メダリストでもある。 


だが、面白いのはこのデータだ! 

AustralianOpen ハード 
FrenchOpen クレー
・・・というのは言わずと知れたことだが
(当時のAustOpenはリバウンドエース)


カフェルニコフは全サーフェスを通して安定した戦績を見せているが詳しくみてみるとクレーとハードが1,2で戦績が悪い。 
球速の速いグラス/インドアのほうが良い勝率を残している。 


だが!!


一番成績のよいグラスの勝率は70%強にも関わらずWimbledonでは95年にQFに進んでいるが,
それ以外はBest8に勝ち残れていない。
そして一番成績の悪いクレーの勝率は57%強、なのにだ!
5度のBest8以上の成績がある。
 


さらにマスターズでは6度の決勝進出があるもなんと1度も優勝したことがなく 
Humburg/Canada/Madrid/Parisでいずれも決勝負けを期している。 

クレーでの戦績が悪いのはMonte Carlo,Romaのクレーマスターズに弱かったからかもしれないし 
90年代はベラサテギやモヤ、グーガ、ムスターなど強力なクレー巧者が大反映と遂げている時代であったのも大きな要因といえる。 
大一番で強いように見えて、そうでもないのだから、語るに難しい選手であることは分かっていただけるはずだ。


カフェルニコフの見所といえば何と言ってもストローク合戦だ。 

AustralianOpen
でのvsアガシ戦は非常に手に汗握るストロークマッチになった。 両者ともに、90年代を代表するオールラウンドなストローカーで、強力な一撃を搭載した選手同士。


互いにフラット気味で乱打戦を演じ、クロスではなかなかウィナーが取れない。 
オープンコートをつくりつつ、ダウンザラインでウィナーを取る。 
さらには、両者ともに ネットへ出て、ボレーでポイントを稼ぐ。 

互いにフラット系の打球を操るため、そんなに強打してしまえばかなりオーバーするのではないかと、行っても過言ではないくらいのショットの応酬、そしてそれがコート深くを抉るのだ。 



これは余談だが 
カフェルニコフといえば、皇帝Roger Federerに勝ち越している数少ない選手で 
(時期が悪かったのもある)さらにはWimbledonでフェデラーから勝ち星をあげた11選手の内の1人でもある。
*フェデラーからWimbledonにて勝利を挙げた試合はストレートでカフェルニコフが制しているほか、最盛期には、ナダルやツォンガらが、フェデラーを破っている。



すべてを総じて、カフェルニコフは1990年代、サンプラス/アガシに次いでの事実上3番手であったことには間違いない。 


この時期に世界1位になった選手はカフェルニコフだけでなく数多くいるが大方の選手が口を揃えて 
"サンプラスの不調"による結果だとするのがまた一興か。 

それだけ時代の手綱をサンプラスが担っていたということだろう。 



ヴィラス、メチージュ、ルコント、カフェルニコフの4名を軸に話をしてきたが、取り上げたい選手などあげればまだまだいる。 


いつの時代も、世界1位がいればそうでない選手も数多くおり、たとえ1位になれねども、多くの選手が立派に時代を支えている。 


今回は2000年代を謳歌した選手を挙げなかったが、歴史を振り返ることに重点を置かせてもらった。 


過去を踏み倒して今のテニス界はなく過去を土台に今のテニス界が成り立っていると考えれば 
過去のテニスに興味を持つことも決して悪いことではない。 
むしろ知らないことを知ることで さらに今のテニスを楽しんで見ることが出来るかも知れない。 


古い時代のテニスもクラシックでイイモノなんですよ! 




 

最後まで閲覧ありがとうございました。 また、次回の投稿でお会いいたしましょう。
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